ミスター慶應グランプリを獲得し、広島ホームテレビのアナウンサーとして活躍していた経歴を持つ、お笑いコンビ「コットン」のツッコミとして活躍中の西村真二さん。
高学歴、高身長、イケメンで「エグいほどモテました」と自身で語るほどの彼がどうして芸人の道に進んだのか?
今記事ではエリートのレールを外れ、夢を追いかける決断をした彼の意外な転身の理由に迫ります。
コットン西村のプロフィール
- コンビ名:コットン(ツッコミ担当)
- 名前:西村真二(にしむらしんじ)
- 生年月日:1984年06月30日
- 身長/体重:181cm /68kg
- 血液型:AB型
- 出身地:広島県
- 趣味:野球(12年間)、ピアノ(12年間)、水泳(9年間)、ダンス(6年間)
- 特技:野球実況、ブライダル司会、早口言葉、ピアノ、水泳、野球、ブレイクダンス、広島東洋カープ応援
- 出身/入社/入門:2011年 NSC東京校 17期生
芸人になったきっかけ
ミスター慶応コンテストでグランプリにも輝き、広島ホームテレビのアナウンサーになった西村さんでしたが、2011年にNSC東京校17期生としてNSCに入学しています。
2012年4月2日に同期のきょんとコンビを結成。後にコンビ名「コットン」と改名します。
幼い頃からの夢
誰もが羨むようなエリートキャリアを歩んできた西村さんでしたが、実は小学校の卒業文集には「ナインティナインみたいな芸人になりたい」と書くほどの芸人志望でした。
芸人という職業について「世界一カッコイイ仕事だと思った」と語っています。
アナウンサーになった理由
大学在学中にコンビを組んでいた相方から「一年だけ社会人を経験するのもいいんじゃないか」と提案されました。
西村さんも「おぎやはぎさんも社会人を経験しているから、それもアリかな」と考え、この提案を受け入れました。
大学時代の相方との別れ
アナウンサーの仕事を一年務めたあと辞表を書いた西村さんでしたが、相方に「ゴメン、やっぱりできない」と泣きながら言われNSCへの入学を断られることに。
結局一年でアナウンサーを辞めるつもりが、三年間続けることになりました。

エリートコースを捨てれなかった相方の気持ちも分かるけど、、、辛いですね。
東日本大震災 ー 夢への決断
芸人への道を諦めきれずにいた西村さんは2011年1月に辞表を出し、広島ホームテレビを退職。
その2ヶ月後に起きた東日本大震災で知人の家族を亡くしたことで「俺もいつ死ぬかわからんし、いまやらんと」という思いが強くなり、芸人になるという決断が確信になりました。
NSCでの新たなスタート
2011年、NSC東京校17期生として入学した西村さん。アナウンサー時代の安定した生活から一転、東京での新生活が始まりました。
2012年4月、同期のきょんさんとコンビを結成。当初は「ラフレクラン」という名前で活動を始めます。
元々、2人は別々のコンビを組んでいましたが、700人いた同期生の中からわずか12人しか選ばれない「演技選抜1軍」に2人とも選出されたことで交流するようになり、元々陽キャ同士だったこともあり意気投合します。
コンビを組んでからは着実に実力をつけ、2019年にはNHK新人お笑い大賞で優勝。
2021年3月31日にコンビ名を「コットン」に改名し、2022年にはキングオブコントで準優勝を果たすなど、大きな飛躍を遂げています。

出典:お笑いナタリー
まとめ
コットン西村さんが小学校の頃から芸人に憧れていたのは意外な発見でした。
アナウンサーになった理由が、おぎやはぎさんのように芸人になる前の社会人経験という考えからだったのも面白いですね。
しかも、誰もが簡単になれるわけではないアナウンサーですから。
東日本大震災という人生観が変わる出来事がなければ、もしかするとアナウンサーのままだったのかもしれません。
芸人の道に進んだことで、お笑いのために時には自分を捨てて新たなキャラを演じるというエリートのときには考えられなかったようなアクションを取れるのは芸人根性ですね。
現在のコットンとしての活躍を見ると、夢を追いかける決断をした西村さんの選択は間違っていなかったと言えるのではないでしょうか。
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